鶏子、デザイナー辞めるってよ

某地方都市でweb、IT系業界で働いてるとある雌鶏のブログ

突然の死刑宣告

「7月から鶏子さんは、システム開発部に異動になります。」
突然事業部長の高田に告げられた。
私、鶏子は元々デザイナーとして、ずっと働いてきた。
三年半ほど、デザイナーからは離れた仕事の出向にも出たことがあるが基本の肩書きと職群はデザイナーだったし、その三年半の出向だって高田が持ってきた案件だったのだ。
もしその三年半の出向が原因でデザイナーとしてのキャリアが落ちたとしてもそれは高田や会社側の判断にも責任がある。
それに何より私はプログラムなんぞ全く書けない。
頭が真っ白になって何も考えられなくなるというのはまさにこのことかと思った。
それから暫くは社内で残務処理をしたり、次の仕事場に向けての準備をしていた。

しかし、心中は穏やかではなく今後のことの不安で一杯だった。


暫くして、某大手企業のFA機器のソフトウェアのデバッグなどを行う仕事を数ヶ月ほどした。期間としては丁度3ヶ月ほどで、12月末でその仕事の契約は終わりだった。

私自身の問題というより、人員削減のために他にも契約を終了した人達がいた。


問題は年明けからだったが、無事に年明けの仕事先も決まった。
今度は本格的なプログラム開発系の会社で仕事もそれだ。
正直焦った。
しかし、反面これはチャンスだと思っていた。
実は私はプログラムは書けないが興味はあったのだ。
デザイナーとして仕事をしているとプログラマーさんと一緒に働くことが多かったので彼らの仕事に興味があったのだ。
言語こそ違えどプログラムが出来てデザインもやってきたとなれば、それなりの強みになる。
実は心の中ではプログラムも書けてデザインも出来たら最強なんじゃないか?なんて憧れていたりもした。厨二的思考も入っているのは充分に承知しているが、あくまで夢物語だと思っていた。

まさか、そのチャンスが向こうから巡ってきた事は複雑な気持ちもあったが、背筋が伸びる思いでもあった。

「私、今からですけど、素人ですけどプログラム勉強して、SEになれるように頑張ります」

そう、社長とシステム開発部の部長に宣言した。
こうして、鶏子のプログラマーへの道が始まったのである。